気まぐれ日記 2010年4月
2010年3月はここ
4月1日(木)「また電車で爆睡・・・の風さん」
午後から電車で名古屋へ出張した。
途中、書店に寄って予約してあった書籍を受け取ったのは、今日の出張が予定されていたからで、出張がなければこれだけでわざわざ名古屋までは出向かない。書籍は宅配してもらう。書店は繁華街の中にあって、まるでKIOSKのように小さかった(笑)。
予定の時刻までまだ時間があったので、東急ハンズをぶらぶらしていたら、目についた物が欲しくなって、買ってしまった。こうやって私の財布の中は軽くなっていくのだ。
今日の出張は、数年間にわたって社外講師を務めさせていただいた仕事が一段落したことや、社会人入学して研究してきたことも終了して学位論文にまとまったことなど、さまざまな話題で挨拶やお礼を兼ねて訪問させていただいたのだ。
何でもない出張のようでも、自分の人生にとっては重要な節目であり、けじめでもある。会社生活が長くなってくると、仕事は人生の一部と言ってもよくなる。そして、プライベートなことでも会社の仕事と密接なつながりが生じて、それが仕事へ良い意味でかえってくる。ビジネスライクでないのが、私のスタイルである。
名古屋から帰りの電車で爆睡してしまい、数駅乗り過ごした。
戻りの電車に乗りながら、「やっぱり疲れているな」とため息が出た。
昨夜、連載原稿の締め切りだったが、とうとう間に合わなかった。連載1年目で初めてである。編集部へは断りのメールを送ったが(今朝未明に)、連絡したことだけは評価された。
3日の午前中に原稿を送る約束をした。今夜は今夜で明日の準備をしなければならない。
4月2日(金)「爆睡は生死の境・・・の風さん」
今日は午後から修理中のミッシェルの代車で出張した。
大学への届け物があったので、遠回りした。
代車にはナビがついていない。あらかじめ地図でルートを確かめてあったのだが、実際の道路は入り組んでいて、思った通りには走れない。ちゃんと目覚めていても、ものの見事にあらぬ方向へ走ってしまった(笑)。
間違いに気付いてUターンしてしばらく走っていたら、見たことのある風景が現れた。
なんと次女が通っていた高校の近くだ! 卒業式に来て歩き回ったので、覚えていた。
長時間ドライブの後、大学に着き、用事をさっと済ませて、また代車のハンドルを握った。
夕方、修理の終わったミッシェルを受け取り、そのまま床屋へ直行した。予定より1ヶ月近く遅くなった散髪である。
帰宅してワイフから痛烈な非難を浴びたが、また床屋でカット中に爆睡してしまった。
すぐ寝れるから何とか生きていられるのかもしれない。
帰宅し、遅い夕食を摂った後、決死の覚悟でパソコンに向かった。徹夜してでも連載原稿を完成させなければならない。
4月3日(土)「やっと連載原稿を提出・・・の風さん」
腰痛を鎮痛薬でだましだまし、何とか1週間を過ごした。
幸い湿布薬も不要なところまで治ってきた。ただし、湿布薬で脇腹がかぶれてしまったが(笑)。
診察と鎮痛薬の補充のため整形外科へ行かねばならないが、昨夜から取り組んでいる連載原稿がなかなか終わらない。
締め切りは3月末だったが、できなかった。
1年前から始まった連載原稿が、締め切りまでに出せなかったのは初めてである。
限界に来ていたのだろう。
1日遅れ、2日遅れで対応できるレベルでもなかった。
それで、昨夜から背水の陣で、今日3日(土)の昼までを目処に挑戦していたのである。
途中で2時間弱は仮眠をとった。しかし、それ以上はぜいたくだった。
エンドレスでの挑戦が、ようやく終わったのは午前10時過ぎだった。さまざまなデータをメール添付して送信した。
それから、バタバタと準備して(しっかり朝食を摂っている余裕はなかったので、バナナを1本だけ胃袋にほうり込んで)、整形外科へ直行した。
病院はひどく混んでいた。待っている間に意識を失いかけた(爆睡しかかったという意味)。2時間近い待ち時間の末にようやく診察と投薬を終えて、病院を後にした。
そこから地元の図書館に打ち合わせのため立ち寄った。
預けてあった「書」を返却してもらい、提案してあった「文章サークル(案)」について、図書館の係りの人と相談した。非公式のサークルとして、とりあえず図書館内で(館員の中から)募集してもらい、数人でも集まったら、5月くらいから開始しましょう、ということになった。これは、どのように発展するか、あるいは消滅するか、今は予想が立たない。ただ、自分としては、いつかはやりたかった活動だし、そういった著書もいつかは書きたいと思っている。
帰宅し、遅い昼食をワイフに作ってもらって食べ、30分ほど昼寝した。
夕方から職場の飲み会が名古屋であるので、電車で出発した。
本当に忙しい人だ(笑)。
体調不良もあって、飲み会ではおとなしくしていた。
以前、終電に間に合わなかったことがあったので、今日は少し早めに一人だけで撤収した。
帰りの電車で爆睡することがないように頑張った。
帰宅すると、ワイフから一杯飲むか、と誘われたが、私は見ているだけにした(笑)。
4月4日(日)「静かに過ごした日曜日・・・の風さん」
久しぶりに昼過ぎまでベッドの中にいた。
時計を見るまで昼を過ぎていることに気が付かなかったのだ。
12時44分だった。
いちおう起きたが、今日だけはゆっくりしようと思った。
夕方ワイフと近所のスーパーへ買い物に行き、通りの反対側の喫茶店でケーキセットを食べた。疲れているときは甘い物に限る(酒飲みの口実というのがあるが、私の場合、甘党の口実か)。
今夜は、礼状のハガキを2枚書いたのが精一杯だった。
幸い腰の痛みは安定している。
4月5日(月)「失策・・・の風さん」
普通に起床して、出社の準備をしているときに、突然、大事なことを思い出した。
ゲラの返却である!
6月に出版予定の『平成21年度代表作時代小説』に、私の短編が掲載される。そのゲラが届いていて、明日6日までに返却するように言われていたのだ。
机の書類の山の下の方に埋もれていたことを、突然思い出したのだ。
やっべぇー、とワイフに愚痴ってみても、代わりにやってもらえるわけではない。
かと言って、午前有休まで取って完成させるには、私はあまりにもこれまで有休をとり過ぎていた(笑)。
出社まで少し時間があったので、10分ぐらいでできないかと、食卓に広げて赤いボールペンを握ってみたが、……とても無理なことに気が付いた。
今夜謝罪のメールも送って、1日遅れを許してもらおう、と決めた。
連載原稿に続いて、連続失策だった。野球ならスタメンはもちろん、悪くするとレギュラーメンバーから外される。2軍落ちである。
ミッシェルで家を出、途中で、昨夜書いたお礼のハガキを投函した。
それでも、会社には定時前に到着した。
さらに、私物のパソコン「アシュレイ」を正門で手続きして会社に持ち込んだ。
昼休みに仕事するために必要だった。
帰宅し、夕食後、ゲラの校正に専念した。けっこう迷った。古い原稿なので、迷うのである。
明日の投函の準備はできたが、出版社への連絡が必要だった。
校正済みのゲラをスキャナーで読み込んでpdf化して添付することにした。修正原稿のpdfもつけた。
そして、お詫びの文章と一緒にメールした。
学位論文の件では危ない橋を何度も渡ったが、とうとう最後になって、作家活動で破綻してしまったことになる。
4月6日(火)「再び前向きの仕事・・・の風さん」
昨夜用意した校正ゲラの速達を、近くのポストではなく、郵便局まで行って投函した。
これで明日には届くだろう。
今日と明日は、職場の元同僚に対する学位論文のお礼回りである。
先ず、N製作所へ向かった。正門前の道路の両脇が桜並木になっていて、満開だった。
1時間ほどお礼の挨拶をし、論文の中身について解説し、最後に専門的な話題で盛り上がってから製作所を去ることになったが、元同僚は、事務所の入り口でミッシェルが走り去るまで見送ってくれた。うれしかった。
昼ころに本社へ着いた。
本社でも、お礼の挨拶をしつつ学位論文やCDを配った。
本社の敷地の中央にある池の周りの桜も満開で、日当たりの良いここは、少し散りかけていた。
帰る途中で用事も済ませて、予定より早く、製作所へ戻った。
当初計画していた会議がなくなっていたが、やることはたんとある。
帰宅し、今夜は、短編集について、某出版社へ提案するメールを送った。単なる提案ではなく、候補作品を8本pdf化して添付したのだ。出版社の編集者に対しては、約3週間ほど待たせてしまったことになる。これまで全く手をつける余裕がなかったのだ。
今夜送った8本の短編の中に和算小説は1本もない。私の原点ともいうべき世話物(人情話)ばかりだ。
これらが本になったら、鳴海風にとって画期的なことである。
大袈裟な言い方をすれば、鳴海風として新たな地平が開ける。
しかし、逆にいえば、出版社がそういうことにチャレンジするかは、予断が許せない。
4月7日(水)「学位論文のお礼回りから安倍晴明へ・・・の風さん」
今日も午後、学位論文のお礼のために出かけた。D製作所である。
昨日ほどのドライブ日和ではなかった。そして、よくあることだが、風の強い日だった。
クルマ専用の有料道路を突っ走っていくのだが、スピードはきわめて控えめにした。
昨日と同様に、時間をかけて論文の内容を説明した。そして、3年間の悪戦苦闘と楽しかった学会活動を話した。
その後で、工場内を案内してもらった。
工程設計というやや特殊な仕事の成果が、そこここに今も確かに息づいている。我々の青春の軌跡でもある。
帰りに有料道路のS/Aでお土産を買った。長距離出張の帰りにお土産を買うのは、激務を終えた後のささやかな楽しみで、かつては農家が経営しているお店で生みたての卵などを買って帰ったものだ(ここはそういう田舎である)。
1年ぶりのTOEIC受験を申し込んだ。全く準備しなかった昨年はロクな結果が得られなかったが、今年は受験テクニックを使うつもりだ。試験日は来月末である。
帰宅したら、またまた楠木誠一郎さんから新刊が届いていた。
好評のシリーズの新作『安倍晴明(あべのせいめい)は名探偵!!』(講談社青い鳥文庫)である。来年、暦関連の本を出すことを企画している私としては、関連本と言っていい。
安倍晴明というと、陰陽師(おんみょうじ)であり、何となく呪術的なイメージが強いが、学問的にはちょっと違う。
中国から伝わった暦は、京都朝廷の陰陽寮(おんようりょう)の暦博士(れきはかせ)らによって計算され、日本の暦として下々へ伝わった。
拙著『和算忠臣蔵』では、陰陽寮から暦計算の権限が徳川幕府へ移ったきっかけを作った渋川春海(しぶかわはるみ)と、陰陽頭(おんみょうのかみ)土御門泰邦(つちみかどやすくに)が登場する。泰邦は、父泰福(やすとみ)のときに奪われた暦計算の権限を再び京都朝廷に取り戻そうと謀略を練っていた。
安倍晴明はこの土御門家の先祖にあたる。暦計算までできたということはなかったようだが、少なくとも天文博士から天文道は学んでいる。
先日、日本数学検定協会のFさんからボールペンを頂戴した。晴明神社のグッズの一つである。星型の「晴明紋」が入っている。カッコ良かったので、ワイフに奪われた(笑)。今度、自分で調達に行かねばならない。
4月8日(木)「西三サークルの集大成本・・・の風さん」
帰宅したら今日も本が届いていた。西三河地方を中心とする数学の先生の集まり「西三サークル」による『見える数学1 手作りの教具・教材』(星の環会)である。立派な装丁の本だ。
ゆとり教育のために中学や高校の先生方は、勘申の指導のための時間がなくなり、生徒に興味をもってもらうための話題提供がほとんどできなくなってしまった。中学校までは知識を詰め込むことよりも、学問に興味をもってもらうことが大切だと私は思う。私の経験から言えば、よく脱線する先生の授業の方が記憶に残っていて、教育そのものを楽しく受け入れていた。数学のようなきちんとした学問は、特にこの脱線が必要で、定理も公式も最終的には忘れてかまわないのだから、数学の歴史的な背景や、数学の目的、数学が関係している話をたくさんしてあげるべきである。そのための勉強会ともいうべき集まりが「西三サークル」である。もう40年にも及ぶ活動とのことだ。頭が下がる。
そこで得られた教材集が今回の『見える数学1』に結実している。楽しい本である。
夕食後は、また学位論文の配布や郵送の仕事をした。学位論文は製本して終わりではない。こういった作業は、少なくとも来週一杯までかかりそうだ。
4月9日(金)「少しずつ懸案は減っていくものの・・・の風さん」
8時10分から本社で会議があるので、通常より1時間早く起きた。
交通渋滞がひどくて、遅刻しそうになったが、何とか間に合った。
会議後、学位論文に関する届け物をしてから、製作所へもどった。途中、コンビニでパンを買って昼食にした。缶コーヒーにおまけがついていたので衝動買いした。ルパン三世の次元大介のフィギュアである。カッコよかった〜(笑)。
学位論文を贈呈した会社の同僚から感想メールが送られてきた。工程設計者としての感性を刺激することができたようで、非常にうれしかった。今後、後輩を中心に配ることになるが、後輩たちのハートにも火をつけたいものだ。
今日はミッシェルに給油して帰宅したが、給油して元気になるミッシェルと違って、夕食後の私は元気にはならなかった。
リビングのソファで爆睡してしまった。
やはりまだ疲れているらしい。
4月10日(土)「後藤新平の勉強・・・の風さん」
夜中に目が覚めて、寝惚けた目で壁の時計を見たら、午前零時20分に見えた。
なかなか良い時刻に目が覚めた。これからひと仕事できるかも、と思って、もう一度、時計を見たら、長針と短針を見誤っていて、実際は午前4時だった(笑)。
(えー! 見捨てられていたんだ〜。寒くて死んだらどうする!?)
と起き上がってみると、ストーブがついたままだった。
命拾いした……じゃなかった、まだワイフに見殺しにされていなかったことを確認した。どこかのツチヤ先生とは違う。
風呂に入ってしっかり目を覚ましてから、今日をスタートさせた。
大学の先生へ学位論文の入ったCDを送る準備をした。とりあえず2人分。手紙を書いたりもするので、時間がかかるのだ。
午後から名古屋へ出かけた。
星亮一先生が、第110回日本外科学会定期学術集会でご講演をなさるので、その聴講に行くのだ。
久しぶりに白鳥ホールへ行った。
名古屋の外科140年史のセッションでのご講演だったが、色々と勉強になった。中でも、星先生のご講演は、後藤新平に関するもので、政治家だとばかり思っていた後藤新平が実は、名古屋の初期の医学史に登場していた。
ご講演後、戊辰戦争研究会のメンバー3人と、金山の居酒屋で一杯飲んだ。
皆と親睦を深めることができてよかった。
帰宅したら、また疲労が襲ってきて、さっさと就寝した。
学位論文追い込みの疲労から抜け出すには、まだしばらくかかりそうである。
4月11日(日)「久しぶりに長女が帰宅・・・の風さん」
星先生は、今日は岐阜方面へ取材に行かれた。いちおう誘われたのだが、やることがたまりっぱなしの私は、同行を我慢して、終日、書斎でひっそりと執筆に専念した。
いくらか進展した。とにかく、やるっきゃない。
夕方から長女が帰省してきた。激務の長女なので、なかなか帰ってこない。せめてスタミナをつけさせようと、夕食はステーキになった。世の中も我が家も不況のどん底なので、めったに口にできないステーキである。
私も元気が出るかと期待しながら食べたが、実は朝から腰がまた痛くなっている。今度は、左の後ろ側だけである。少ししびれた感覚もある。ヤバイかも。
夕食後も歓談していたので、夜は執筆はできなかった。
4月12日(月)「なかなか仕事がはかどらない・・・の風さん」
就寝が比較的早いせいか、最近、朝早く目が覚める。……まさか老化現象?
昨夜でコーヒーの粉がなくなったので、今日は会社へレギュラーコーヒーの入ったミニ魔法瓶を持って行けない。
出社途中でコンビニに寄って、おまけ付き缶コーヒーを買った(まただ(^_^;))。
それにしても、昨日は快晴だったのに、今日は一転して雨模様だ。しかも、寒い。そのような悪天候の中で、製作所設立20周年記念の神社参拝と植樹があった。昨年の会社設立60周年もそうだが、不景気の中でのイベントはどうも冴えない。元気が出ない。思い出になりそうもない。もちろん私の存在感も希薄だ。
機械学会へ投稿する論文にようやく着手した。しかし、何となく疲労感が体にまとわりついていて馬力が出ない。
帰宅途中でレギュラーコーヒーを買い、さらにコンビニに寄って、エクスパックを購入した。学位論文関係の後処理もまだ完全に終わったわけではない。
夕食後、学位論文関連CDの編集をした。新たに2つのバージョンを作った。こういうこだわりは、私が芸術家だからか? それとも単なる性格? いずれにせよ、こうやって私は忙しくなるばかりだ。
4月13日(火)「おまけに凝る風さんの巻」
昨日買った粉で淹れたレギュラーコーヒーを魔法瓶につめて家を出た。
それでも、途中でコンビニに寄った。エクスパックの投函が目的だが、おまけ付き缶コーヒーも買った。おまけのフリクション走行バイクが非常に気に入ったからだ(^_^;)。
天気は良くなったが、風が強い。これが続くとまた花粉症が出る。私は虚弱体質だ(笑)。
実験の合間に、今日も投稿論文の作成をした。けっこう大変だということが分かってきた。
夕食後、学位論文を入れたCDの作成をした。3月の学会で知り合った人に送るためだ。
そんなことをしているうちに早くもエネルギー切れになってきた。
今夜はあと少し雑務処理をしてから閉店にしよう。
4月14日(水)「パソコンの切れ目・・・の風さん」
会社で新商品(ジャンルを問わない)アイデアを競うイベントが2年に1回開催される。かなりハイレベルな商品の実物が製作されて展示される。現在はそのアイデア応募の段階なのだが、所属する職場の応募がさっぱりということで、ハッパがかかった。やる気になれば、難なくアイデアが出るタイプなので、とりまとめ役を買って出たついでに、2日間で3件のアイデアを出した。途方もないアイデアぞろいで、我ながら満足している。締め切りまでにあと2件は出したい。
帰宅してすぐ、家族の共用パソコンの電源を入れようか、とワイフに提案した。
昨夜、DVDに入っている画像を観るのに苦労していたので、助けてやった。難なくやり遂げたので、ワイフからえらく感謝された。パソコンの操作では、さすがに私の方が一日の長があるので、亭主が優位に立てる絶好の機会である(笑)。
明日も観たいというので、「じゃ、明日帰宅したらすぐパソコンを立ち上げてあげよう」と約束していたのだ。
ところが、
「夕べ全部観たからもういい」
などと、可愛げのないことを言う。
金の切れ目が縁の切れ目とはよく言うが、我が家はパソコンの切れ目が縁の切れ目かもしれない。
4月15日(木)「歩く電器屋さん・・・の風さん」
昨夜用意した学位論文入りCDを今朝も投函してから出社した。
昼休みにメールチェックしたら、長崎大学のH先生からメールが届いていた。ケータイには九州地方からの着信記録もあった(携帯していないので、いつも着信が分からない)。
メールは、来年の講演依頼の打診だった。
急いでオフィスから出て、ケータイで教授室へ電話した。
昨年の全国和算研究(長崎)大会での講演のような、地元に関係した話を希望されたので、喜んでお受けすることにした。
席に戻って、学位論文を手伝ってくれた同僚に話すと、
「それまでに死なないことが大事ですね」
と言われた。
確かに、すぐ無茶をする私である。来年の講演までに何度か無茶をして、とうとうお陀仏になってしまったら、依頼に応えられなくなってしまうのだ。
本質を突いた同僚のコメントに、深く感動した。
帰宅し、夕食後、次女の迎えに最寄の駅までワイフのクルマを運転した。二日後に車検を受けるクルマである。
ドアのロックの開閉を無線信号でやるのだが、電池切れのため、マニュアル操作になっていたことに気付いた。
車検の時に一緒にお願いすると、けっこうな料金をとられそうだ。
それで、キー本体を開いてみると、CR2032のボタン電池を使用していることが分かった。しかも、ラッキーなことに、予備を持っていた。100円ショップで2個入りで売られていたのだ。
交換してみたら、無線機能が復活した。50円で元通りになったわけだ。
早速ワイフに自慢したら、
「どうせ車検だったんじゃない。一緒にやってもらってもよかった」
などと、可愛げのないことを言う。
歩く広辞苑、歩く電器屋さん、歩くボケ老人と呼ばれる風さんだが、どうも世間の評価が低い。
4月16日(金)「久々に痛飲・・・の風さん」
昨夜、学位論文を入れたCDを15枚用意した。参考文献なども豊富に同梱した。
それを持って名古屋まで出張した。関係者に配るのが目的である。
日本能率協会主催の第20期生産技術研究部会の最終報告会である。その企画委員を風さんはやっている。
専門家ばかりなので、風さんの学位論文のテーマは非常に興味をひくはずである。
午前中の企画委員会で、学位取得の報告をした。
午後は、最終報告会だったが、順次、CDを贈呈していった。
夕方から打ち上げを兼ねた懇親会になり、そこで2枚を贈呈して、15枚はすべてさばけた。
すっかり安心した風さんは、大いに飲んで大いに語った……ので、かなり酩酊してしまった。
帰りの電車でしばし爆睡してしまった。
帰宅し、さっさとシャワーを浴びてベッドにぶっ倒れた。
4月17日(土)「車検の間に・・・の風さん」
昨夜は酩酊してさっさと寝てしまったので、今朝は普段と似た時刻に起きた。
ワイフのWISHが車検である。5年目なので、これまでだと新車に乗り換えるところだ。しかし、一昨年来の不況のため、今回は断念することになった。あ、もちろんエコカー減税や補助金を組み合わせた購入プランの検討はやった。しかし、無理だった。社会人入学を終えて、ワイフからの借金が残っている私としても、なすすべがない。持つべき宵越しの銭すらないのだ(涙)。自称江戸っ子の名折れだろう。
懇意にしている中古車屋にWISHを預けたら、ナビ付きの代車を貸してくれたので、遠出することにした。近場で観るべき映画もなかったから。
風は強かったが、クルマから降りない限り、晴天でドライブ日和と言えた。
途中でGSに寄って、1000円だけセルフ給油した。セルフだと、こういうせこい給油が可能なのでうれしい。レギュラーが7リッター強入った。
名古屋市内を抜けて、次女が入学した大学を訪れて、軽くキャンパス内を散歩した。私は田舎にあって気に入ったが、ワイフはショックを受けていた。「近くにコンビニすらない」と。
近所だったので、知っている先生がお勤めの大学の正門まで行った。
昼食は本格的韓国料理の店(小さな汚い店)に寄った。私は生まれて初めて、本物の韓国料理を食べた。唇がひりひりするほど辛かった。スプーンでご飯を食べたが、ご飯そのものは美味しかった。
午後は、ここも私は生まれて初めてだったが、ノリタケの森へ行った。愛知県に30年も住んでいて初めてとは信じられない人もいるだろうが、本当だから仕方ない。サラリーマンの男というのはこういうもんだ。たとえ作家でも。
こうしている間にWISHの車検は無事に終了した。
けっこう充実した1日だったのかもしれない。
4月18日(日)「久々の徹夜か・・・の風さん」
長女が名古屋で働いているので、我が家に常にいるのは4人である。
今朝は早くから次女がバイトに出かけた。隣県のスーパーで試食販売の売り子をするという。若いからとはいえ、バイタリティがあるなあ、と感心する。一方で、そのバイタリティで、金遣いも荒い(笑)。
長男も早朝から出て行った。東京まで某アニメ声優兼歌手のコンサートを聴きに行ったのだ。こちらもすごいぞ。往復共に高速バスで、しかも帰りは夜行便だ。ふだん生気や覇気といったものを全く感じない長男だが、どこからこのエネルギーが出てくるのだろうか。
私は終日執筆と決めて今日一日を開始したが、始めに雑用を片付けねばならず、あれこれやっているうちに昼になってしまった(笑)。
午後は、少し開き直って読みかけの小説を読んでみた。
続いて、以前読んだ資料をもう一度読んでみた。
これでどうにかやる気が出てきたが、もうその頃には晩飯の時間になっていた(笑)。
夕食後、やっと執筆にとりかかったが、すぐに疲れてしまいダウンした。
気が付いたら午前零時を回っていた。
これはやばいと眠気覚ましにシャワーを浴びて、徹夜の態勢になった。
4月19日(月)「タイムスコープに感激・・・の風さん」
今朝の午前5時まで頑張ったが、結局、眠くなって寝た。
2時間弱の睡眠で起床した。
頭が重い(当然だろう)。
階下へ降りると、玄関に長男のスニーカーがあったので、帰宅しているらしい。長男の存在確認はスニーカーの有無が我が家の常識だ。
会社ではずっと頭が重く、仕事以外は何もできなかった(仕事以外にすることがあるのか?)。
帰りに遅くまでやっている郵便局に寄った。
振り込みをするのと、今朝投函できなかったハガキをポストに入れるのが目的だ。悪い癖で、ついでだからと記念切手シートを2セット購入した。
帰宅した時、大事件が起きた。
車庫にミッシェルを停めて、玄関へ着くまでに、駐車の音を聞きつけたワイフが玄関まで迎えに来るのが普通である。
今日はなぜか玄関灯がついていなかった。
暗い玄関にたどり着いて、ドアのノブに手をかけたとき、ワイフがドアの向こうにたどり着いた。
そして、玄関灯のスイッチを入れた音がすると、一瞬、あたりが明るくなり、その直後、再び真っ暗になった。
玄関灯の白熱球が切れたのである。
よりにもよって、帰宅して、この出迎えと歓迎は何だろうか。
それから私は、かなり苦労して玄関灯を交換し、ついでに2階の止まっている壁時計の電池まで交換した。
歩く電気屋さんは大忙しである。
やっとのことで食卓に座ると、学位取得のお祝い品が知人から届いていた。仕事で知り合った方だが、いつのまにかこんなによくしてくださる。相手が先輩なので、上手にお返しができない。とにかく残りの人生を精一杯生きるしかないと覚悟を新たにした。
その先輩へのとりあえずのお礼のハガキや、また学位論文を収録したCDを送る準備をしているうちに、だんだん時間がなくなってきた。
今夜は、さらに2つの電話もあった。1つは兄貴から母の近況を伝えるもので、いよいよ痴呆症が出始めている。近いうちに様子を見に行かねば、と思う。もう1件は会社の元上司からで、今夜NHKで和算の番組があるから見た方がいいというものだった。「タイムスコープ」という番組名だが、むろん、私は知らない。
とにかく先輩の助言だったので、社会人になってからほとんどテレビを見ない風さんだが、今夜はその時刻までにダウンしない限り見ますと答えた。
この「タイムスコープ」は実に良かった。現代のジャーナリストがさまざまな時代にタイムスリップして取材するという設定だ。
最近人気の切り口だが、面白かったのは、リアリティが十分あったからだ。農民の格好や、夜のシーンの暗さが本格的だった。
番組が終わってから、監修が、東大史料編纂所の山本博文先生だったことが分かり、なるほど、と納得した。
いい加減な時代考証には腹が立つが、出来る限り忠実なな再現を目指した姿勢を感じるとうれしくなる。ストーリーもよかった。
結局、昨日の続きの執筆はできなかったが、何となく充実したうちに就寝時刻になってしまった。おやすみなさい。
4月20日(火)「社会人入学の余韻・・・の風さん」
目が覚めると、屋外が何となく暗い。カーテンを開いて空を見上げたら、陰鬱な雲が広がっている。気分が落ち込みそうな、いやな1日の幕開けだった。
昨夜用意したレターパックをコンビニで投函して出社。
午前中、某会社の生産技術者から職場に電話がかかってきた。先月の機械学会で私の発表に興味を持ってくれた人である。約束した学位論文の入ったCDを送ったので、そのお礼の電話だった。既に技術士の資格を持っているバリバリの技術屋さんなのに、学位取得も目指しているとのことだった。将来性のある若者に対しては、あらゆる支援をしてあげなければならない。私の論文でも役に立つなら、と送ったのだった。
電話で喜んでいる様子が分かったので、安心した。同時に送った拙著にも興味を持ってほしい。
帰宅したら、今年から季刊になった「大衆文芸」(春の号)が届いていた。
新年号用に書いたエッセイが掲載されていた。『ドイツ、BMWの旅』。むろん、昨年10月の学会発表のためドイツへ行き、レンタカーで走った思い出をつづったものだ。もうあれから半年も経過してしまったのか……。
4月21日(水)「やっぱり残念、新車購入のチャンス・・・の風さん」
17日にワイフのクルマの車検を受けたが、やっぱり内心くやしい。
私のミッシェルはもうすぐ走行距離が15万kmになるが、20万kmまで乗るつもりである。ゴーカートみたいなクルマだが、気に入っているので、とことん乗るつもりだ。どれだけ途中で故障やトラブルがあっても平気だ。
しかし、ワイフのクルマは、そうはいかない。安全第一に考えたい。そして、その大義名分を利用して、5年ごとに新車に更新して、私は新たな車種を楽しむことができるのだ。
ところが、昨年来の不況のために、サラリーマンとしての収入が激減してしまった。
いくらエコカー減税や補助金があっても、大きく開いてしまった穴を埋めることはできない。
逆に不況でさえなかったら、エコカーに買い換える絶好の機会だったのだが、……。
ま、とにかく、それで、今回は車検となったのである。
昨夜も遅れている作家業を取り戻そうと頑張ったため、今朝の就寝は4時となった。
それでも、普通に起床して、今日も、コンビニでレターパックと封書を投函して出社した。
帰宅したら、新鷹会の年会費の請求が来ていた。
「大衆文芸」が昨日届いて、今日は年会費の請求……か。
見事としか言いようがない(笑)。
今夜、1冊読み終わった。今年やっと9冊目である。
4月22日(木)「厳島神社の算額見学希望・・・の件」
光陰矢のごとし、とは言うが、日がたつよりも仕事の遅れの方がどんどん悲惨になっている気がする。
こういうときは、しのごの言ってないで、何でもかんでも積み木崩しをやっていけば、偶然活路が開けることもあるものだ。
実は、宮島の厳島神社の算額を見学したいと前から思っていた。
裏面に、檜山義况(ひやまぎきょう)という和算家が、大坂で間重富と出会ったエピソードが記録されている珍しい算額なのである。
他にも希望している先生がおられる。それで、先月松山へ行ったときも、紹介してくれる方がいないか探ったのだが、非常な努力にもかかわらず、この見学は容易には実現しないことが分かった。
一方私は、新鷹会の伊東先生が代々木八幡の宮司で、東京都神社庁庁長をされていることから、紹介をお願いしてあった。先生は快く名刺に紹介文を書いてくださり、最後はそれを切り札にしようと考えてもいた。
いよいよそのカードを切るしかない状況になったので、帰宅してから、依頼状の準備にとりかかった。
今回依頼する見学の主旨から、私の自己紹介(決して怪しい人物ではなく、まじめに算額を見学したいと思っていること)、関連資料などを添えて、レターパックに詰めた。
この準備だけで、かなりの時間を要した。
うまくいくかどうかは、本当に分からない。
しかし、もし実現するなら、16年ぶりの見学になるはずで、希望している先生には確実に見学してもらい、私もしっかり瞼に焼き付けておきたいと思う。
4月23日(金)「出血の代償は600円・・・の風さん」
今朝も出社途中でコンビニに寄って、昨夜必死に準備したレターパック(算額見学依頼)を投函し、二礼二拍手一礼。
会社の駐車場に着いて、接触不良の車内時計をいじっていたら、電池蓋がシートの下に落ちてしまった。上から届かない場所だ。シートを目一杯後退させても駄目。結局、無理やり右手を突っ込んで、手探りで探すしかない。
(あれれ?)
電池蓋とほぼ同じ大きさの物体に触れた。
やっとの思いでつまみとると、100円硬貨! ラッキー(^_^)。
再び手を突っ込む。
(あれれ?)
今度は、だいぶ色あせた500円硬貨だ! 超ラッキー(^_^)。
三度目は欲の皮をつっぱらせて、さらに奥へ。
(痛ッ)
手を抜くと手の甲に引っかき傷が……。
血が出ていても仕方ない。労災にはならないだろう(笑)。もう一度手を突っ込む。
やっと電池蓋をゲットした。
接触不良もなおって、電波時計が8時30分を表示した。
退社時にあちこち寄り道した。いつもの大型電器店、薬局、ガソリンスタンド。
夕食後、新鷹会の伊東先生へ昨日の報告を兼ねてお手紙。
4月24日(土)「岩村取材は成功・・・の風さん」
朝から抜けるような青空が広がっている。
昨日買った電気かみそりの内刃を交換して、髭を剃った。欠けた内刃でなくなったせいか、振動が静かになった気がする。気持ち、切れ味も良くなったような……。自分の頭脳の中にある内刃も交換できないものか。
遠路はるばる歯科医へ。
待合室の書棚に『日本人が知らない日本語』の1と2が置いてある。『1Q84』と同様に、じきに3が出るに違いない。(これ、皮肉ってこと分かりますぅ?)
本当に良い天気だ。最近の不安定な天候の中で、これだけ良い天気に恵まれるとは、よほど日頃の行いが良いに違いない。
え? 歯医者に来るのに、この大袈裟な表現は何だ?って思うだろうが、そうではない。
今日は、歯医者よりも遠くへ、これから取材に行くのだ。
(それにしても待たせるな……)
結局、30分近く待たされて治療が始まった。
今日は最後までやるかと思ったら、虫歯の治療だけで、また蓋をして、次回かぶせる作業に入るとのこと。
麻酔が効いていて、唇がビリビリしているが、とにかく上天気の中、出発。
地球環境保全には反するが、ど貧乏の風さんは、土日祝日割引を利用して高速で行くことにする。しかも、すっごい回り道をして。
今日の目的は、岐阜県にある岩村城址……というより、佐藤一斎の坐像の写真撮影である。連載原稿に使用するものである。
尊敬する佐藤一斎は、岩村藩の侍の子として江戸で生まれた。当然、地元では偉人である。
愛知県の田原藩の家老だった渡辺崋山と似ている。地元では、今でも「渡辺崋山先生」である。
その渡辺崋山が描いた佐藤一斎の肖像画は、国立博物館にあって国宝である。その画像データは拝借することができない。企画会社が営業の一環で有料で貸し出しをしているが、見積もりをとったら2万円近かった。連載1回に使うだけなのに(原稿料では支払えない)。
そこで、岩村町にある坐像を自分で撮影した写真を使うことにしたのである。
ナビの最初の目的地を「岩村城址」としたのは、失敗だった。
岩村城は700mを越す山の頂上にある。写真撮影の目的地は麓にある歴史資料館付近だったのだが、山の裏側からぐいぐい登り始めて、やがてとんでもない狭い杣道に……。対向車とのすれ違いは無理である。しかし、来た! 止むを得ず少し後退し、曲がり角のスペースを利用して、すれ違った。
頂上付近の出丸にある駐車場に着いた。ミッシェルを降りて地上を見下ろすと、眼下にひなびた町並みが広がっていた。
周辺の写真を撮って、急いで山を下った(笑)。
歴史資料館のある周辺は城下町の気分をいやが上にも盛り上げていた。
今年の松山、昨年の杵築、さらに一昨年の高梁市(備中松山城のあるところ)を思い出す。
なつかしい感じのする土地は好きだ。
坐像はすぐに見つかった。藩校である知新館跡の近くである。女太鼓の練習の音がときおり響く。江戸時代にタイムスリップだ。
バッチリ撮影を完了。
妻籠か馬篭のような保存地区まで降りた。うーん、この低い家並み、実になつかしい。
昼食に地元の名物のうどんをたらふく食べて、今度は歴史資料館の見学。
受付の人が気さくな感じで好感をもった。
2階に、国立博物館にある国宝の複製と並んで晩年の一斎の肖像画があった。椿椿山が描いたものだ。国宝の精悍な表情に比べて、温和な風貌をしている。どちらも素晴らしい。
幸い、館内は撮影禁止になっていない。
しかし、ガラスを通しての撮影は照明が写ってしまい、このままでは使えない。
いろいろと工夫した結果、デジカメをガラスにくっつけて撮ればよいことが分かった。
最高の収穫に満足して資料館を出た。
外で再び坐像の写真を撮った。時間が経過したので、屋外の坐像は陰影が異なっているのだ。
学位論文を終えていくらか体力が戻っているので、頂上を目指すことにした。
約800mの急な坂である。ほとんどが石段。深い森の中を進む。観光客はほとんどいない。佐藤一斎が目玉の岩村なので、ミーハーは少ないのである。
それにしてもきつい坂だ。難攻不落とはこのことだろう。しかし、藩士がいつもこんな山城で執務をとっていたとは思えない。備中松山城では役所は下界にあった。
ネットで見た風景が次々に現れる。曲がりくねった坂を登って、とうとう頂上へ到達した。
お! 2歳くらいの女の子が歩いている。クルマで来たんだろうなあ。
下を見下ろすと、町並みが小さい。すぐ下に、最初に登った出丸の駐車場があった。
日が高いうちに取材を終えて家路についた。
帰りも遠回りだったが、1000円区間を利用して無事帰宅した。
今日だけで330km以上走った。
4月25日(日)「勇気を出して470円の買い物・・・の風さん」
今日も上天気である。しかし、書斎に籠もって作家業に専念しなければならない。
しかし、集中力を欠く年齢になっているので、ときどきネットで遊ぶ。
某ソフトメーカーから「今日まで使える500円割引券」が送られていた。
これを使うかどうかが懸案事項だった。高価なソフトを購入する余裕はない。
毎日引くことができる「くじ」があった。
ためしに挑戦したら、某ソフトがとんでもない割引価格で990円になった!
500円引きにすれば490円である。490円くらいの買い物なら、今の私にも清水の舞台から飛び降りたつもりで決断できる。
購入した。
そしたら、もう一度、「くじ」が引けるという。
引いたら、20ポイント当たった。これは次回の購入に20円として使える。
結局、某ソフトを470円で購入できたことと同じだ。
こんなことをしながら、日付変更線もこえて、午前4時まで頑張った。
最後は、意識も朦朧としてきたので、学位論文を収録したCDを11枚製作して、今日の作業を終了した。やれやれ。
4月26日(月)「年寄りの仕事の仕方・・・の風さん」
今朝午前4時にベッドにもぐり込んではみたものの、……なかなか熟睡できない。
そのうち起きる時刻になってしまった。
仕事の合間に、学位論文を収録したCD4個を社内の同僚に贈呈した。こうして少しずつしか想いは果たせない。しかし、年とってからの仕事のやり方は、これでも、コツコツやっていけば、積もり積もって、大きな仕事量になることを大野先生は教えてくれた。若いときの爆発力がなくなっても、決して諦める必要はないのだ。
昼休みに、珍しく長女からメールが入った。いよいよ会社を辞める段階に入れたという吉報だった。これまでの経験を生かして次の人生へ飛躍するための、重要なステップなのである。父として応援していく。
帰りに、郵便局とガソリンスタンドに寄った。
夕食後、疲労感でまたダウンしてしまった。
4月27日(火)「早乙女太一・・・の風さん」
午前3時に目が覚めた。外は雨。
それから入浴して、さらに目を覚ました後、作家業に取り組んだ。
こんな時刻でも、メールを送るとすぐ返信が来ることがある。その返信は、
「早寝早起きですか、それとも遅寝早起きですか?」
だったが、回答は困難である。なぜなら、決まっていないから。唯一間違いないのは、就業時間に会社にいることだけ。
雨の中、出社したら、昨日の定時後のスポーツ大会の準決勝で、職場チームは敗れたという。しかも、一番怪我の心配のない高卒の新人が足を骨折したという。明るく元気な新人君だったので、頑張り過ぎたのかな、と同情してしまう。
会社といえば、以前にも書いたアイデア提出の件数が、本日、職場の目標値に到達した。45件である。あと、自分自身の目標値である10件に到達すれば、自分としては満足だ。
それにしても終日雨である。
帰宅したら、やけにワイフの機嫌が良い。
それもそのはず、今日は、お義父さんと、早乙女太一の公演を観に行ったのだ。
「カッコ良かったよ〜。もう、目がハートマークになっちゃった」
18歳なら、何をやったっておばさんから見ればカッコいいに決まってる、と心の中だけで呟いた。
しかし、パンフレットを見せてもらうと、……確かにカッコいい(笑)。
こんなに若いのに、努力している姿も見られる。野球のイチローのように、若いときからスゴイ奴はスゴイのかも。
「タカラヅカから早乙女太一に乗り換えようかしら……」
(勝手にしたら)
さすがに今朝早起きしたため、眠くなってしまい、机上の名刺を整理してから、たちまちダウン。
4月28日(水)「連日よくやるよ・・・の風さん」
超多忙な1日は、午前4時から始まった。つまり、今日も早起き。会社の就業時間は拘束されているが、それ以外は赤ん坊に近い。眠くなれば寝るし、疲れたら寝る……なんだ、これじゃ常に寝ているのか。
昨日とうって変わって晴天である。
先ず、製作所に出社した。車室内が暑いのでエアコンをつけた。
それから本社へ出張した。お世話になっている大学の先生との打ち合わせと、昼食会、それからギャラリー(製品展示室)の案内をした。
続いて、持参してきた学位論文を収録したCDを7つ、本社の同僚に贈呈した。これでも、まだ終わりではない。
明日からのゴールデンウィークが超多忙になることが予想されたので、電話して、1日の歯医者の予約を1週間延期した。
製作所へ戻る途中で、郵便局で振り込みをし、コンビニでルパン三世のフィギュアがついているコーヒーを買った。どちらも重要な仕事だ(嘘つけ)。
それにしても初夏のような陽気である。
会議に出席してから、ようやく自分の仕事を始めたが、片付かない。
しかし、例のアイデア提出は進展した。自分の目標である10件を達成するとともに、職場の総数が53件にまで伸びたのである。促進担当としては、仕事をした気分に浸れた。
真っ直ぐ帰宅したら、郵便局から宅配のメッセージが入っていた。要冷蔵の品物を届けてくれたらしいが、留守で持ち帰ったとある。明日も留守にする可能性が高かったので、やばい!っと思って、10km以上離れたゆうゆう窓口へミッシェルで直行した。窓口は20時に閉まってしまう。
行く前に電話しなかったのが失敗だった。
「まだ、出ていますね」
ガックリしつつ、転んでもタダでは起きたくない風さんなので、汚れの目立つミッシェルを洗車して帰ることにした。
自動洗車が終了してライトをつけたら……がーん! フォグランプが1つ球切れだ。装着してまだ1年経っていないのに。
3日間の疲労で、午前零時にベッドに倒れ込んだ。
4月29日(木)「純米酒でいただいたのは・・・の風さん」
予定していた午前6時に目が覚めたが、その後予定していた行動に移ることはできなかった。
無理がたたって疲労感が全身に貼り付いていたからだ。
結局、10時までゆっくり寝て、今日は執筆に専念するぞ、と勢いよく起きた。
明け方は雨が降り、どんよりしていた空が次第に明るくなってきた。
午前中に、連載原稿のための図を自ら作成した。単純な絵だが、単純なだけに自分でやっていることに疲労感を覚える。
昼食後、本文の執筆に入った。気持ちは焦るが、筆は進まない。
夕方のコーヒーブレークまで、とにかく頑張った。
そして、完成の一歩手前まで行ったところで悲劇が起きた。
下手な操作をしたために、午後に執筆した部分を消してしまったのである。
とても詳しくは説明できない。ミスはミスだが、ひとつ納得できないのは、自動保存(10分おき)がオンになっていたのに、自動保存されていなかったことだ。
消沈して階下へ降りた私は、ワイフに「しばらく呼びに来ないで欲しい」と弱々しく告げるしかなかった。
自分で書いた文章なのに、容易に復元できないのが、また悲しい。
結局、午後10時過ぎに何とか一段落できたので(まだ完成したわけではないが)、階下へ降りた。
「さあ。もらった薩摩揚げで夕食にしよう」
そうである。昨夜、もらいそこねた要冷蔵の届け物は、今日、無事に届いたのだが、なんと、本場の豪勢な薩摩揚げだったのだ。
極上の純米吟醸冷酒でいただいた薩摩揚げの美味しかったこと!
4月30日(金)「連載原稿が間に合った・・・の風さん」
やっと普通に起床した(笑)。
連載原稿につける図をネットが探したが見つからない。昨日はあったのに、どんなに探しても見つからない。
それで、とうとう自分で作ることにした。今回は2枚もオリジナルを作ることになってしまった。
自分で作り出すと、凝り性の性格が頭を持ち上げる。大いに危険な状態だ。
ネットで入手できるフリーの世界地図の白地図に、部分的に、自分で経緯度の線を加え、必要な都市名も加える。
たったそれだけのことだが、できるだけ正確に仕上げようとするから、手間がかかる。しかも、パソコンは使えるが、ソフトの使い方はほとんど我流である。
とうとう昼食の時間までかかってしまった。
昼食後、ようやく本文の見直しをし、それから送付データとして整理し、すべて送付し終わった頃には、もう陽が傾きかけていた。
今日は、夕方のコーヒータイムをきちんととった。昨日の敵討ちみたいなものだ。
懸案事項はたくさんあるが、最優先課題は、秋に出版予定の小説の原稿執筆となった。
2010年5月はここ
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